土曜日, 1月 09, 2010

癒しの指

指圧屋の友達のHPを作成しました。
http://shiatsuya.kilo.jp/

彼と今日話をしていて感じたり、気が付いたりしたことをちょこっと書き残しておこうと思います。

まず、どんな職業にでも言えることなんだろうと思うのですが『何のためにソレをやるか?』ということを心の中にしっかり仕舞っておかねばならないなと言うことを感じました。

私は歌手を育てる(こういう言い方は非情におこがましので適切な言葉があればご指摘ください)という仕事をしています。
もちろん歌手が歌わせて頂いているあらゆる楽曲は作家さんから頂いてくるものですが、最終的には歌と言う作品として世の中に出す訳ですから歌を作っているという言い方も出来るかもしれませんね。

歌を作るということは、いったいどういうことなんだろうか?
ということを真面目に考えると、ただ『売れて』『儲かれば良い』ということでは無いと思うんです。
もちろん会社としてやっている以上『売れて』『儲かる』ことは目指すべき場所ですが、その道に至る過程で『何のために?』という事が常に問われているんだろうと思います。

さて、これはあくまでも私の中の『何のために?』という事ですが、私はやっぱり歌は人を幸せな気分にするものであって欲しいと思っています。
簡単な言い方をすれば、『(片思いの人へ)告白する勇気が湧いた』とか『明日も仕事を頑張ろう!という気になった』と我々の歌がそんな存在であって欲しいなと思うわけです。

つまり、歌を聞いてもらう(あるいは、歌ってもらう)ことによって『何らかの癒し』がもたらされるような存在であり続けたいなと思うわけです。

前にこのブログで紹介したGory, Gory, what a helluva way to die!という歌はアメリカ陸軍の落下傘兵に歌い継がれている歌ですが、死と隣り合わせに居た彼らが大声で歌を歌うことで自分達の明日を信じたという事実は、歌とは人間にとってどれほど大きな存在なのか?ということを示しているのかも知れません。

今の時代は、『死』というのはちょっと遠くの存在です。
普段から余り意識していなくても構わないようなそんな存在なので、『生』へのありがたみがちょっと薄れているのかな・・・と生意気なことを感じます。
なぜ今わざわざ『死』というものについて書くかというと、歌というのは死のちょうど反対側にあるものなんだろうなと思うからです。
例えば、ウソをついてしまったとき正直だった自分の『死』という物もあるかもしれません。
Bodyという意味の『死』だけでなく、精神的な意味での『死』というものは日常にころがっていますが、歌うことで何かが変わるような存在であるべきなのかなと思います。

もっとも聞き手の皆さんによって歌はさまざまな解釈をされるもので、それを作り手が操作しようという意味ではなく、聞き手の皆さんの感じることは尊重するけれども、歌い手としてあるいは、製作者としてこめる気持ちは気持ちとして『使命感』は持っておくべきだろうと思います。
たとえ、作り手の意図しない解釈を聞き手の皆さんがしたとしても・・・それは悲しむべきことではなく、作品という名の子供が成長する『しるし』なのかなとも思います。

新年早々まじめに語ってしまいましたが、歌い手の子にも『自分の与えられた使命』というものは、感じて欲しいなと思いました。
有名になったり、お金持になったり、ソレを目指すのはもちろん良いのだけれど、歌うことでどんな使命を帯びているのか?という事を意識している人と、そうでない人の違いは、いちいち私が言わなくとも世間が分かるのかも知れません。
つまり、結果として出るだろうと・・・

さて、こんな気付きを与えてくれた友人の指圧屋さん。
指圧という施術を通じて、もしかしたら心を癒しているのかも知れません。